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ユベール・ド・ジバンシー。1927年2月20日、パリのボーヴェに生まれる。5歳で父と死別し、祖父の元で育つ。 37年、パリ万博での衣装の展示を見たのがきっかけでデザイナーを志す。17歳でファトのメゾンに入る。ロベール・ピゲやルシアン・ルロンのもとを経て、スキャパレリのメゾンに行く。45年、ジャック・ファットのメゾンに入る。46年、ロベール・ピゲ、ルシアン・ルロンのメゾンを経て、47年からスキャパレリのモデリスト兼主任となる。

52年2月2日、ジバンシー社を創立。初コレクションでは資金面の問題もあり、コットン素材のシンプルなドレスやブラウスを発表。中でもシャツ地で作った開襟、ラッフル袖の「ベッティーナ・ブラウス」は話題を呼ぶ。

斬新なアイデアとシャープな感性が絶賛され、「モードの神童」と呼ばれる。

54年、オードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」の衣装を手がける。自由なライン」として発表したウエストもヒップもないシュミーズ・ドレスが「革命的な衣装」として反響を呼ぶ。

56年、レディースウェアライン「GIVENCHY UNIVERSITY」を発表。62年に香水、72年に男性化粧品を発表。1973年、メンズウェアライン「ジェントルマン・ジバンシー(GENTLEMAN GIVENCHY)」を発表。99年に「ジェントルマン・ジバンシー」が「ジバンシー(GIVENCHY)」となる。95年、オートクチュール・コレクションを最後にユベールが引退。後任にジョン・ガリアーノが抜擢される。

96年、アレキサンダー・マックイーンがオートクチュールとプレタポルテの主任デザイナーに就任。彼の手腕により、ジバンシーが再び隆盛期を迎える。2000 S/Sよりメンズも手がける。

2001-2002A/Wより、ジュリアン・マクドナルドがオートクチュールとプレタポルテの4代目の主任デザイナーに就任。2003年12月、ジバンシーのメンズウェアラインの初代クリエイティヴ・ディレクターにオズワルド・ボーテングが就任。2005-2006 A/Wより、リカルド・ティッシがレディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターを務める。

ジバンシーの代表著名客といえば、やはり往年の名女優オードリー・ヘプバーン。個人的にもユベールと懇親があったようだ。現在はLVモエ・ヘネシーグループの傘下に属する。

ブランドリスト

アーペーセー  アレキサンダーマックイーン イヴサンローラン イッセイミヤケ 

ヴィクター&ロルフ ヴェロニクブランキーノ  エルメス  クリスチャンディオール  

クリスヴァンアッシュ  クリストフルメール  クロエ ケンゾー

コスチュームナショナル コムデギャルソン ジバンシー シャネル ジャンポールゴルチエ 

ジュンヤワタナベ ズッカ ステラマッカートニー セリーヌ   バレンシアガ 

フセインチャラヤン ヘルムートラング ポール&ジョー マルタンマルジェラ ヨウジヤマモト 

ラフシモンズ ルイヴィトン ルシアンペラフィネ ロエベ エミリオプッチ  グッチ ヴェルサーチ

フェレ アルマーニ ジルサンダー ドルチェ&ガッバーナ  ニールバレット フェンディ 

プラダ アトウ アンダーカバー ケイタマルヤマ シアタープロダクツ ジョンローレンスサリバン

タイシノブクニ ドレスキャンプ ナンバーナイン ミハラヤスヒロ ミントデザインズ 

ラッドミュージシャン  wjk